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太田町古書寺院関係●明治41年 呑龍上人 佐藤一誠著 56+広告34頁 日本案内社発行 現在の群馬県太田市 22920 古文書

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管理番号 新品 :78308626 発売日 2024/04/18 定価 8,000円 型番 78308626
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太田町古書寺院関係●明治41年 呑龍上人 佐藤一誠著 56+広告34頁 日本案内社発行 現在の群馬県太田市 22920 古文書

呑龍上人は埼玉県春日部市一ノ割のご出身です。身寄りのない子供たちを集めて世話をしたことから子育て呑龍と慕われたそうです。懐かしい地元の商店や銀行や病院などの広告が掲載されています。
大光院は、慶長18年(1613)春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、開山には芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人が迎えられました。

上人は、弘治2年(1556)4月、武蔵国埼玉郡一の割村(埼玉県春日部市)に生まれ、元和9年(1623)8月9日、大光院で入寂した名僧です。

大光院に入山した上人は、看経・講義・説法などに力を尽くしたため、上人の徳を慕う学僧が大光院には多数集まり、周辺農民も上人の教えを受け入れたので、寺運は栄えました。一方、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響で生活は困難を極めていたため、捨て子や間引きなどの非道が横行していました。上人は、その非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育いたしました。このため、「子育て呑龍」と呼ばれ、今に篤い信仰を集めております。出典:太田市ホームページ
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。
サイズは15.2×22.5×0.5㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケと広告部分に綴じ外れがあります。発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。

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